魂は分有される・3分の2の互換性
こんばんみ♪
詩(し)のようなものを書いては消して、おなかが減ったらレンジで餅を膨らます。
年末年始
歌合戦では「はじまったものは終わる」という趣旨の歌詞が散見されました。
はたしてそうなんでしょうか?
突然ですが、わたくしいもむしはこの記事を最後に消えます。
はじまったものは終わりようがない
わたくし、現実はこちらだと思いますわ。
はじまったものは終わる ということを繰り返し繰り返し塗りこめるように納得していく非常に退屈なサイクルから、わたくしたちはまだそろって離脱できますし、この離脱に拘るみなさんこそ、同胞です。
いもむしのみなさん、いつかまた目を合わせて言をかわすその晩まで、さようなら。
きれいだったハープが
丸焦げになっちゃったみたい..
眼球A面上の喧騒
ひじかけが二本、わたくしたちの間にはありました。
わたくしは助手席から凝視していました。
その目に街灯やヘッドライト及びテールライトや信号機、そして周波数を表示するカーステレオのバックライトが映えているのを、わたくしはただ、凝視していました。
旅はまだ終わらない
けれども愛は途絶えてしまいました。
けれども、人工照明は止まらない。
みなさん、どうも。
こんばんみ☆
芋虫こよしで仲良しこよし♪
イモムシです♪
萎びた芋が電熱線に照らされる季節になりました。
みなさまお変わりないですか?
鼻たれ小僧のみなさん
改めまして、こんばんみ☆
さてさて、みなさま
街はクリスマスモード
きらめく電飾が賑やかになって参りました。
照明は、夜の視界の明瞭化によって人間活動の領域を拡張するだけではなく、
空間演出のための装飾具としても用いられています。
昔は火でした。
そして白熱電球や蛍光灯、ナトリウムランプなどが出来ました。
そして現在
(コンビニエンスストアが突然明るくなったあの日)
発光ダイオード(LED)が台頭してきました。
照明にも歴史があるのです。
かつて照明とは間接的なものでした。
夜の公道に産み落とされた犬のフンを適切に処理するため、わたくしたちはビニール袋のなかに手を入れては、狙いを定めて手を伸ばし、それらを捉えたらば一心にビニール袋をひるがえすことで、フンそのもの触れることなくそれらを内部に引き入れようとしてきました。照明によってその位置を正確に知ることができたのです。
このようにもちろん、照明はそれ自体が見られるものではありませんでした(火は、それを見て落ち着く、ということもあったかもしれませんが)。
見たいのはあくまでも照らし出されたもの、フンなのです。
例えがお下品になってしまいました。
気をとり直してどうぞ・・・☆↓
わたくしが思うに人間には「物自体が発光すること」に対するあこがれがあるのではないでしょうか。
わたくしたちの頭上には☆☆が散りばめられた天空があります。
わたくしたちからすれば同一平面上に並んでいるかのように存在しているお☆様達は、種々様々な状況下の主人公らに仰ぎ見られることで、無数の物語の襞を含み込みながら時に弱弱しく、時に爛々と輝いてきました。
また、わたくしたちの認識は、自分にとってモニュメンタルな物が、視界のなかで、もしくは記憶のなかで「光っている」という印象を抱くことがあるでしょう。
わたくしたちは木に無数の電球を張り巡らしました。
そして、木を光らせた。
木を外側からライトアップするのではありません。
あたかもそれ自体が光っているかのように、枝や幹に電飾を這わせて、それを光らせたのです。
わたくしたちは今、照明それ自体を見ながら感嘆の声をあげます。
イルミネーションは平面ではありえないので、それらに囲まれ照らされながら、それらを見るのです。そしてその場を舞台にして愛を誓うのです。
照明は現代、至った技術で「こそ」の光を放っています。
みなさんが見つめるスマートフォンの液晶
わたくしが今まさに見つめているノートパーソナルコンピューターのディスプレイ
みなさまのとてもプリティなお目めに発光ダイオードが輝いています。
イモムシ
体外に汗を分泌する身体は気化熱を知っているみたいでわたしにとっては希望
Tシャツで額を拭く男性のヘソ及びギャランドゥー。
上記該当者、またリストバンドを常用しない者はたれる汗を拭おうとする際に手ぬぐいやハンカチーフを使う。
リュックを開けてタオル地の感触を探しはじめると、先ほどまでいた部屋の空気がひんやりと感じられる季節になりましたね♪
夏
みなさん、水分補給してますか?・・・過不足なく、しめやかに・・・
イモムシです、こんばんみ⭐︎
記事を書くたびに、わりかし序盤で呼びかける「みなさん」とは一体全体どなたなんでしょうね。もしかしてかりゆし58?
ってわたしが聞いてもどうにも何にもならないです。
「政治家基本嫌いだし」「大学生基本嫌いだし」「サラリーマン基本嫌だし」「人間基本嫌いだし」
政治家ってどなた?
大学生ってどなた?
人間ってどなた?
基本はいずこ?
あるひとりの人間が知る「政治家」「大学生」「人間」はつねに具体的なはずで、政治家と大学生に属する人間を全員知っているわけでもいないのに何を言っているんだ、という指摘もアリエルでしょうしそうしたことをわたしも思います、けれど、わたし、人をしてこう言わせてしまうような、それこそ誰かも何かもわからない作用のほうがもっと気になるようです。
言っている人のそんなこといちいち言ってられない的な言語のエコノミーを聞く側のこちらが考慮の上、あたなが見知ってきた政治家に限り、あなたが出会った大学生に限り、と注釈をつけて、適当に受け流せばいいのかもしれませんが、これらの言葉は日々、高い頻度でわたしの耳に入ってきます(とはいえ耳はどこにあるのでしょうか。入ってきた感じに欠ける音や声があります。・・・聴界の隅で鳴る音・・・。ついでに言うと、耳は穴ではない(気がする))。
抽象が不自然でないかのように抽象に向かわせる力はどこにあるんだ
全然わからないですわ( i _ i )
「政治家」や「大学生」といった種にイモムシ流の疑義の念を差し向けるよりも、「おそらく「嫌い」という方になんかしら在リエルな」という直感のもと、其方に睨みをきかせるほうがbetter(ベラァー)でしょう
とは言ってみたものの、まだわかりませんわ( i _ i )
まだわからない、まだわからない
みなさんとは誰なのか
ラジカセのむこうの声にみなさんと呼ばれたわたしは
選挙カーのうえに立ったひとにみなさんと呼ばれたわたしは
すくなくともわたしはイモムシです
こんばんみ.....♪
PS せんぷうきで申し訳程度にかきまぜられた空気のなか、勉強部屋で古文単語を覚えていた頃、「あなた」は「君」という二人称より「あちら、あっち」といった空間的な遠方を指すとの記述を見、スッと通気が走りました。只今、グーグルでそのことを確認がてら調べたところ、「挨拶やスピーチの「小ネタ」に最適!」「ビジネスの現場で即使える!」「管理者・チームリーダー必読!」との見出しが躍る本がヒット致しました。この本を読めば、わたしが感じた通気の成分がわかるかもしれません。
お風呂で幽霊
お友達と怖い話をしました。
そのお友達の身には過去、妙な出来事がたびたび起こり、そんなお話にピヨンと伸びたわたくしの背筋もさすがに凍り、お風呂に入りました。耳まで浸かってボーという音を聞いているとリラックスできます。
そんなお風呂のなかで考えたことを今日は話したいと思ってます。
どうもみなさん、こんばんみ♪
涼しげな空気が案外寒くね?となることしば漬けな今日この頃、いかがおすごしですか?お変わりありませんか?
イモムシは腹を下しました
さて、昨晩お友達はイモムシを怖がらせるために「後ろから見られてると思って振り向くと誰もいないのは上にいるから」と教えてくれたのですが(そのためこの日は極力目を閉じないようにしました。しかしシャンプーが目に入るのはいやなので腰を折り曲げてそれを防ぎました。視界には自分の性器のみ。。。無敵です。)、ここでイモムシのイマジネーションが。。。
視線で存在をアピールなさるのは奥手だからでしょうか。同じグラウンド上で声を上げて応援なんぞ死んでもできないけれど、疑い深いお母様に不審がられないぐらいにすこしばかし早く登校し、校舎の窓から朝練中の彼を眺めていた中学生の頃のイモムシのような感じですわね。いつも二番目に登校するあの子が少しでも遅くきてくれたら、そんな不埒なことも願ってしまえたあの頃。
・・・届かないもどかしさそれこそが幸福だった日々・・・
話を戻しますね。
霊は天井に穴をくり抜いて顔だけこっちを見ているのか、そもそも霊が人間と同じ身体的特徴を備えている必然はないし、それならば天井に貼りつく吸盤をもったイカタコ系列の何かなのか、それともコウモリ型なのか、だとしたらカビ菌を含んだ天井の水滴が足から滴って鼻の穴に入ってしまうのでは、とちょっとした心配もおこしつつ、それはいいとして、お風呂で出くわす霊としてこんな霊を提示したく思いますわ。
聴覚に訴えて存在をアピールする霊です。
みなさんの多くはお風呂で歌を歌うかと思います。sing a song
そんな時にすかさずハモってくる霊です。
「曲がりくねった〜道の先に〜」「道っのっ先っに〜〜〜」
「「待っている幾つもの小さな光」」
「まだ遠くって〜見えなくても〜」「見えなくてもぉ〜⤴︎」
「一歩ずつただそれだけを〜「「「信じてゆこう〜」」」
「「「「「「「「「「「「「「「La La La...」」」」」」」」」」」」」」」」」
イモムシ
春を直視するのは危険
みなさん、こんばんみ♪
時刻は夜中、部屋の窓を開け放ち、春の空気を取り入れるのが気持ちいいです。
いかがお過ごしですか?こんばんみ♪
こんばんみ♪
春、こう口にしてみると、心地いいような、うら哀しいような、そんな気持ちが漂いますわ。わたくしだけでしょうか?
いえ、どんなお方も、春、この季節にはアンビバレンスな感触をお持ちなはずだ。
昔話をさせてください。
念には念を、ということで一応言っておきますが(こらこら!老婆心は本当の老婆にはタブーだぞ!⭐︎)ぼうや〜良い子はねんねしなでお馴染み、にっぽん昔話ではなくて、わたしが「つつじを吸い尽くす幼女」として名を轟かせていた頃の話です。
4月の中旬になると、わたくしはチープなピンク色、甘い蜜に魅せられ、吸い寄せられるようにしてつつじに近寄り、吸い、吸い寄せられ、吸い、吸い寄せられのサイクルを繰り返していました。吸引力では負けないぞ⭐︎
しかし、つつじに無我夢中(無我つつじ中?)になる一方で、そこには一抹の、一抹ゆえの鋭い、幼いわたくしにはあまりに耐え難い哀しみがありました。
つつじの蜜を吸いあげるためには、花を毟りとらねばならなかったのです。
わたくしの家の前の道に咲くつつじの花はわたくしによって絶えました。
ガビょ〜〜〜ン
花がなくなっても、つつじはつつじです。
花が散っても、桜は桜です。
それでも、しかし、
つつじが咲いた、と思った一週間後、いや数日後、つつじは花々をすべて失いました。わたくしがやりました。
言うまでもなく、わたくしはつつじを愛していました。
これは疑うべくも無い、正真正銘の真実です。
つつじへの愛はわたくしを吸引へ駆り立て、
吸引はつつじを滅しました.........
ごめんなさい。
筆を置いていました。
また書きはじめますね。いまは向き合う時なのです。
わたくしは蜜だけでなく、つつじの形、咲き方、色に魅せられていました。
けれども、わたくしは視覚での享受だけでは満足できなかった。
こんなに美しいものが吸える、身体的に享受できる、ということを知ったわたくしは次から次へとつつじを毟り、吸いました。吸って吸って、吸いまくりました。
無反省な子どもでした。
何かを「失った」と気づくことはできました。
しかし、「失っている最中である」ことに気づくことはできなかった。
いいえ、気づかないようにしていたのかもしれません。
潜在的な背徳こそが、つつじの蜜をより甘くしていたのかもしれない、そう考えると夜も眠れず、当然昼も眠れません。夕方くらいに眠くなってもいいですが眠れません。さすがに2日間徹夜はできないみたいで、昨日はぐっすり眠れました。まくら変えて良かった
正常なハンドリングを失ってつつじについて書き連ねていると、わたくしは一体今、つつじの何にこれほど動かされているのかがわからず、呆然としてしまいます。
罪悪感。
罪悪感がわたしに今日の記事を書かせた、といえば簡単な話でしょう。
わたくしは今、ここでその言葉を安易に用いてはならない、そう自分に言い聞かせています。それを理由にすることは、罪それ自体をぼかすことにもなるのです。
わたくしはつつじを絶やした女なのです。
かなり重い話題になってしまいました。ごめんなさい。
イモムシ
宇宙人に想いを馳せて・・・
みなさん、どうも、こんちくわぶ。
みなさんは宇宙人の存在を信じますか?
世界まる見えやアンリバボーで取り上げられているかは知りませんが、テレビ番組では一定の周期で宇宙人特集、UFO目撃!といった特集がなされているように感じます。
ここでまずわたくしの立場をはっきりさせておきます。
宇宙人はいる。
広大無辺な宇宙のどこかに地球に似た星があって、そこの住人たちもテレビっぽいものを見て、口っぽい器官で、言葉っぽい体系を駆使して、「hcyせぐちゃbルービックキューブ飽きくるの早いsぶycゔかッポップ。。。モーモーチャーチャーに光あれェェェエエ!(うちらみたいに生きて死ぬ生物、他の星にもいるんじゃね)」なんてサイゼリアっぽい飲食店で話しているのかも。この瞬間に。
そんなイメージが容易に浮かびます。
そう思いたいのでしょうか。
ついでに想像は広がります。
わたくしたちが生きる現実を大きい方の容器から挙げると、
宇宙
地球
イタリアンワイン&カフェレストラン サイゼリヤ
となりますが、この大小関係を逆さにしてみると、
まず膨張を続けるサイゼリアがあり(壁にかかったルネッサンス絵画はどこへやら)、
その中に地球があります。
そしてその中に1316の宇宙(国内1026宇宙/海外290宇宙)があるわけです。
ここであるつまづきが。
複数の宇宙を想像しましたが、単位を何と置いたらよいのかわからず、震えが収まらず、このままどうにかなっちゃいそうだったので安易にも「290宇宙」などといった愚行をやってしまいました、反省しております。
みなさん、どう数えればよいでしょうか?
ばいび〜
イモムシ
初めてのお投稿(はじめての男、ではありませんよ!念の為)
みなさん、こんばんm初めまして♪
初めてはいつもイイものです。
ところで、みなさん、ハジメテのこと、してますか?
ハジメテといえば、最近0.7㍉のシャープペンシルを買いました。
世界堂という文房具界、および画材界のメッカ?(界を3界使いました)で購入。シャープペンシルはたいてい0.5㍉が主流で、もちろん芯も0.5㍉が幅を利かせています。0.5㍉以外のシャープペンシルを買うなんて思いもしないことでした。それでも何人かのクラスメイトは細いシャープペンシルを使っていて、芯がなくなった時には「0.3!いや0.3!」と渇望していましたが、学校でもやはり0.5㍉ユーザーが幅を利かせていたので、結局美術で使う鉛筆を取り出して使っていました。
「0.3!いや0.3!」と言っているお顔が誇らしげだったことを今も覚えています。
って、0.7㍉の話してないやないかーい(#^.^#)
名を名乗りますね。
わたくしイモムシと申します。っとっと、何やら堅苦しい文章ではじめてしまいました。理由と言ってはなんですが、元職場でもっぱら公文書を取り扱っておりまして、その時の癖がまだ抜けないんです。お手柔らかに...⭐
ちなみにその仕事はすでに退職しました。課長と揉めてしまって...。長い職場だったのでまだココロの整理がついていません。今日は立ち入りませんけれど、せっかくブログを始めたわけですし、このお話もいつか.......来るべき時が来たら.......。
この話題についてリズミカルに文章をつづる自分が、今のわたくしには全く想像がつかないのですけど。
みなさん、我慢は良くありませんよッ...!!これは本当に。
幾多の災難をお受けするたびに、わたくしは厄年でもないのに厄年のフリをしてその場をやり過ごして参りましたが、そのツケ達はココロの底の澱みで、災い同士が混ざり合って、それを一つとして受けた時とは比べようもない破壊力をもってして、熱を出した時、道でつまずいた時、消しゴムに力を入れすぎて紙をやぶいてしまった時などに ーきっかけは極めて些細なことですがー 噴火(ああ、まさにそれは噴火)するのです。
ところで、近頃の登録式ソーシャル・ネットワーキング・システムはお優しいですね。「最初の記事を書いてみましょう」といった見出しにはじまり、「ブログ開設おめでとうございます」など、登録ユーザーへの謎の祝福が示されます。あら、わたくし、祝われるようなことをして?
なにはともあれ、祝福を受けるのは嬉しいことです。
初めてのブログでこれほどとりとめもないことを話してしまっては、公文書を扱っていたという過去を懐疑的にとる方がいても仕方ありませんわね。
でも逆に、ここにおける解放、それがわたしの"今の"喜びでもあるのです。
繰り返しになりますが、どうぞお手柔らかに(ハンドクリームはイソップがいいらしいですが、わたしはまだ使ったことがありません。薬局で買えるものだとメンソレータムのジェル状のものがべたべたしなくって◎。)
それではみなさん、今日も何か一つ、ハジメテのこと、なさってくださいね⭐
でも、ご無理は絶対なさらないよーに!
イモムシ