春を直視するのは危険

 

みなさん、こんばんみ♪

時刻は夜中、部屋の窓を開け放ち、春の空気を取り入れるのが気持ちいいです。

いかがお過ごしですか?こんばんみ♪

 

 

こんばんみ♪

 

 

春、こう口にしてみると、心地いいような、うら哀しいような、そんな気持ちが漂いますわ。わたくしだけでしょうか?

 

いえ、どんなお方も、春、この季節にはアンビバレンスな感触をお持ちなはずだ。

 

 

昔話をさせてください。

念には念を、ということで一応言っておきますが(こらこら!老婆心は本当の老婆にはタブーだぞ!⭐︎)ぼうや〜良い子はねんねしなでお馴染み、にっぽん昔話ではなくて、わたしが「つつじを吸い尽くす幼女」として名を轟かせていた頃の話です。

 

4月の中旬になると、わたくしはチープなピンク色、甘い蜜に魅せられ、吸い寄せられるようにしてつつじに近寄り、吸い、吸い寄せられ、吸い、吸い寄せられのサイクルを繰り返していました。吸引力では負けないぞ⭐︎

 

しかし、つつじに無我夢中(無我つつじ中?)になる一方で、そこには一抹の、一抹ゆえの鋭い、幼いわたくしにはあまりに耐え難い哀しみがありました。

 

つつじの蜜を吸いあげるためには、花を毟りとらねばならなかったのです。

 

わたくしの家の前の道に咲くつつじの花はわたくしによって絶えました。

 

 

ガビょ〜〜〜ン

 

 

花がなくなっても、つつじはつつじです。

花が散っても、桜は桜です。

 

それでも、しかし、

つつじが咲いた、と思った一週間後、いや数日後、つつじは花々をすべて失いました。わたくしがやりました。

 

言うまでもなく、わたくしはつつじを愛していました。

これは疑うべくも無い、正真正銘の真実です。

 

つつじへの愛はわたくしを吸引へ駆り立て、

吸引はつつじを滅しました.........

 

 

ごめんなさい。

筆を置いていました。

また書きはじめますね。いまは向き合う時なのです。

 

 

わたくしは蜜だけでなく、つつじの形、咲き方、色に魅せられていました。

けれども、わたくしは視覚での享受だけでは満足できなかった。

こんなに美しいものが吸える、身体的に享受できる、ということを知ったわたくしは次から次へとつつじを毟り、吸いました。吸って吸って、吸いまくりました。

 

 

 


無反省な子どもでした。

 

 

何かを「失った」と気づくことはできました。

しかし、「失っている最中である」ことに気づくことはできなかった。

 

いいえ、気づかないようにしていたのかもしれません。

 

潜在的な背徳こそが、つつじの蜜をより甘くしていたのかもしれない、そう考えると夜も眠れず、当然昼も眠れません。夕方くらいに眠くなってもいいですが眠れません。さすがに2日間徹夜はできないみたいで、昨日はぐっすり眠れました。まくら変えて良かった

 

 

 

 

正常なハンドリングを失ってつつじについて書き連ねていると、わたくしは一体今、つつじの何にこれほど動かされているのかがわからず、呆然としてしまいます。

 

罪悪感。

罪悪感がわたしに今日の記事を書かせた、といえば簡単な話でしょう。

わたくしは今、ここでその言葉を安易に用いてはならない、そう自分に言い聞かせています。それを理由にすることは、罪それ自体をぼかすことにもなるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたくしはつつじを絶やした女なのです。

 

 

かなり重い話題になってしまいました。ごめんなさい。

 

 

 

イモムシ